2014年04月02日
短い春。
昨日、今年初めてのヒグマを見た。
初めの出会いとは嬉しいものだ。
なるべく多くのクマに会いたいといつも思ってはいるが
『知床半島以外の場所でヒグマを撮影したい』というのも
僕にとっては大きな目的の一つだった。
道東に住んでいる間がその最大のチャンスだと思った。
知床へと通う合間に、阿寒や大雪などの森に通って
試行錯誤を繰り返した。
結果、遠目に数頭のヒグマに出会えただけだった。
右も左もわからないフィールドで野生動物を追うことは難しい。
歩き回る中で、いくつかの仮定を信じて、証拠となる兆しを集めて、
一つだけつながるものを発見した。
そして昨日、ようやく満足のいく距離感で彼等に出会うことができた。
それが、僕にとってはとても嬉しいことだった。
到達までの過程は、絵に滲み出ると信じてはいる。
とは言いながら、効率に流されそうになる自分を叱咤する必要も常にある。
「撮り易いものを撮る」、「撮りたいものを撮る」
この二つは似ているが、その隔たりは大きい。
道東に住まう時間も残り少ない。あと何度出会えるか。
明日も森へ行こうと思う。
Posted by Sinh at
12:59
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2013年12月10日
ヒグマの挨拶。
11月末。粉雪が舞い始めた知床半島の山肌を
ゆっくりと歩いて登っていく一頭のヒグマに出会った。
早朝で辺りはまだ薄暗い。カメラを構えはしたものの
良い画質での撮影は半ばあきらめて
穏やかな気持ちで彼の姿を眺めていた。
すると、別の方角から、もう一頭のヒグマがやってきた。
もともと一緒に歩いていて、少し離れてしまっていたのか、
それとも偶然出会った場面を、私が幸運にも目撃できたのか。
二頭のヒグマは、鼻を突き合わせるようなしぐさを見せた。
木々が邪魔で、よくは見えなかったが、きっと挨拶をしていたのだろう。
その直後、ヒグマの鼻先から、ふわりと吐息が湯気となって
山肌の冷たい空気に浮かんでは消えるのが、見えたような気がした。
その後、二頭は離れ、別々に歩きながら山の向こうへと姿を消した。
あとに残された私は、言いようのない幸せを感じていた。
「なんでもない、些細な出来事」
人が目にすることない、野生動物のささやかな日常を、
間近に見ることができたように感じたからだ。
この感覚に浸されたくて、私は森の中を歩き続けているのだと思った。
撮影者としてはきっと失格なのだろう。
だが、私はこれでいいのだと思う。
今年はまだ雪が少ない。
だがもう間もなく、彼等も冬の眠りにつくことだろう。
2013年08月29日
Ganga.
2011年3月。
意外だとよく言われるけど、この時が僕にとっての最初のインドだった。
喧騒と煙たさと、人の嘘。普段なら楽しむべきこの状況を
僕は悲しい気持ちで味わうことになった。
旅を切り上げる決意のために、ここまで来たのかもしれない。
カトマンズからの36時間という長い移動時間に、不思議と疲れは感じていなかった。
朝焼けの中に、初めて見たガンガ。
無数の生と死を呑みこんでゆっくりと、力強く流れている。
ベナレス。祖国の震災を、この街から想うという旅の経験は
今も僕の精神に特別な影響を与え続けている。
しっかりと、歩いて行かなければならない。
2013年03月07日
旅路の門。
昨日、石垣空港は最後の日を迎えた。
大きなザックを背負って、何十回も降り立った空港だ。
15歳で初めて八重山を訪れて以来、
毎年通うようになって、もう20年が経った。
かつては具志堅さんの等身大パネルが迎えてくれた空港。
タクシーの運ちゃんが、山にかかる雲で離着陸を占った空港。
台風の混乱の中、4桁のキャンセル待ち番号の整理券を渡された空港。
「桟橋まで」
空港に降り立って、その空気にざわめく心を抑えつつ
何度そう言ってタクシーに乗り込んだだろうか。
僕の旅する人生は、この空港から始まったと言っていい。
我が青春の門戸。
ありがとう。
2012年11月16日
bear's trail.
雨が静かに降る11月の寒い日、巨大なヒグマを川越しに見た。
次の日、僕は静かな心地で川を渡り、彼がサケを食らった場所に立ってみた。
辺りにヒグマの気配はない。
彼が去って行った道のりを、彼の残した足跡をなぞる様にゆっくりと歩いていく。
近くに鳥の羽が散乱している。
鮭をくすねに来たカモメを、ヒグマが食らったのだろうか。
クマの歩いた道はとても歩きやすかった。
そういえば、自分が歩いた道を辿ってくる3頭の兄弟熊に
帰りにばったりと出会ったのは去年のことだった。
クマは、神出鬼没だ。どこから出てくるかわからない。
彼等は人間から見れば崖のような場所も歩くが、
それでもほとんどの場合は通りやすい道筋を見つけ、踏み均してクマ道を作っている。
僕はもうどれほどの数のクマ道を辿って歩いただろうか。
明日からは、この道も使わせてもらおうと思う。
毎年、9月に訪れていた知床。今は11月。草木は枯れ、展望が明るい。
夏には茂みに覆い隠されていたこの場所も、見渡すことができるようになっていたのだ。
何度も訪れているこの川辺にも、僕の知らないクマの道がきっとまだ無数にあるのだろう。
遠くに海が見えた。
無数のクマ道が走るこの場所のすぐそばの河口には
人々が当たり前のように生活をしているのだった。
2012年05月13日
connect the dots.
ひょんなことから、今までにない経験をさせてもらえることになりそうだ。
海外に仕事で行くのは、これで何度目かな…。
本業でなくて残念ではあるけれど、写真という手段で、
少なくとも認めてくれる人が、数人はいたのだ、ということになる。
さいきん、思わぬ人のつながりが繋がって
驚かされることが多い。
そことそこが繋がるか、みたいな…。
縁とは、ほんとうに予測ができないものだなと
そろそろ気づかされる年齢に差し掛かってきたのかもしれない。
『人生にちりばめられた点が繋がるまで、世界に最良のものを与え続ける』
スティーブジョブズとマザーテレサの言葉を、勝手に名文風に合体させてみた。
まぁ、そういうことなんだな。自分にできる最良の物は、まだ継続と逡巡を必要とするのだけれど
アジアのどこかで、ブラジルで、もしくは東京で、それとも北海道で、繋がるのかもしれない。
そして思い続けた南の島へと回帰するのです。
まだまだ書くよ。書きたいことはたくさんあるんだ。
海外に仕事で行くのは、これで何度目かな…。
本業でなくて残念ではあるけれど、写真という手段で、
少なくとも認めてくれる人が、数人はいたのだ、ということになる。
さいきん、思わぬ人のつながりが繋がって
驚かされることが多い。
そことそこが繋がるか、みたいな…。
縁とは、ほんとうに予測ができないものだなと
そろそろ気づかされる年齢に差し掛かってきたのかもしれない。
『人生にちりばめられた点が繋がるまで、世界に最良のものを与え続ける』
スティーブジョブズとマザーテレサの言葉を、勝手に名文風に合体させてみた。
まぁ、そういうことなんだな。自分にできる最良の物は、まだ継続と逡巡を必要とするのだけれど
アジアのどこかで、ブラジルで、もしくは東京で、それとも北海道で、繋がるのかもしれない。
そして思い続けた南の島へと回帰するのです。
まだまだ書くよ。書きたいことはたくさんあるんだ。
2011年10月22日
Nada.
I cannot do nothing in this time.
Am in huge Nada.
Nada makes me feel deep unease with his dark.
But I don't know how to run away from his black hands.
... I can do is only thinking.
"Thinking" gives new something that could save me,I know.
I will fall into Nada-Preto for long time now.
Tchau, o grande Sol...!
2011年10月04日
半年。
未曾有の大災害から、既に半年以上が経った。
当時ネパールから、インドを歩いていた僕は、得体の知れない自責の念に押されて、
旅を切り上げて帰国した。
遠くにいたから、現実感がない。
しかし、距離と疎外感は、冷たく硬い感触の記憶となって
より自分の心に迫ってくるものがあった。
東京で家族を安心させた後、遅い足どりで東北へと向う。
迷惑ではないか、無意味ではないか、微力に過ぎないか。
止まる理由を探しながらも、再び何か得体の知れない感情に押されて
僕は足を踏み出したのだ。
現実は圧倒的だった。
感情的になる自分を抑えるのに必死だった。
いつも笑顔で、瓦礫の山の中を歩いた。
おじいさんと、倒壊した家の中で結婚指輪を一緒に探した。
二度と電源が入らない冷蔵庫を、一心に拭いた。
多くの悲しみを感じ、多くの憤りを感じた。
気仙沼から大島へ渡るフェリーの中で、粉塵の舞い上がる
気仙沼港の風景を眺めていると、何時の間にか頬を涙が流れていた。
無意味な感傷に身を委ねたつもりはない。が、抗えない何かがあった。
全ての場所を感じることは出来ない。
ただ、気仙沼と気仙沼大島。この二つの場所とは、
僕という人間の一生という小さな時間の中で、関わって行こうと強く思った。
「偽善は嫌いだ」
そういって、阪神大震災のときに、何もしなかった自分がいた。
「偽善は悪ではない」
目に涙をためて彼女がそう言った時、
僕は東北に来てもよかったのだと、初めて思えたような気がしている。
北海道から帰って、新たな経験の鮮烈さで
彼の地への思いを、忘れかけているのではあるまいか。
大島の空を見上げた夢を見た。
まどろみの中で、その記憶を反芻し、僕はそう自らに問いかけた。
行動すること。見ることと、聞くこと。人と関わること、涙を流すこと。
大切なことを学んだ気がする。
僕はこれからも、正直に生きていきたいと思う。
また、大島へ渡りたい。
2010年12月03日
羆の森とヒト。
2010年9月、再び知床半島の森へと足を踏み入れた。
様々な思いはあったが、欲求として最も強かったのは
ヒグマの姿を目にすることであった。
写真に撮ることも考えていた。しかしヒグマの出る場所で
待ち構えるようなスタイルの旅には、まだ抵抗がある。
ひたすらに歩き続け、山を見て風を感じ、その延長線上に出会いがあればいい。
一度目の機会は稜線上で訪れた。
200kgはありそうな、巨大な雄のヒグマ。
しかしその姿は遠く、写真には小さく写っただけだった。
中途半端な距離でシャッターを押した自分を悔いた。
だが昨年に続きヒグマの姿を目にすることができたことが嬉しい。
高揚が、心地よく胸を鳴らした。
二度目は小さな川の畔。
人の生活領域からわずか数十メートルにある
ひっそりとしたこの森に、彼等の気配が充満する世界がある。
そう、まさにそれはひとつの別世界のように静かに広がっている。
あらゆる注意を払いながら、僕はこの川の畔を歩き続ける。
つい先程まで彼がそこにいたであろう痕跡を足元に見下ろして息をつくと
確実なる「見られている気配」を感じ、僕は森を仰ぎ見る。
それは気配という言葉にしてはあまりにも確かなもので、疑いようもない。
経験をしなければ、理解しがたい感覚がそこにある。
ゆるやかに蛇行する川の流れ。その凹凸に拠ってテリトリーがあるらしい。
「ここからは、下流とは違うヒグマの縄張りだ。それもかなり大きい」
手に取るようにわかるほど、その痕跡は濃厚だった。
鉢合わせは命の危険を意味する。藪を漕ぐときは声を出して進んでいく。
「会いたいのか、会いたくないのかわからないな」
そんなことを考えては、時折独り苦笑する。
この場所で、今年は小さなヒグマに出会うことができた。
彼は目の前でカラフトマスを捕まえて咥え、
飛び跳ねるようにはしゃいで森の中へと去っていった。
体躯は小さく、まだ若い。おそらく親と別れたばかりの2歳児ではあるまいか。
翌日。再びその個体に出会う。
目が合った。
森の中から、注意深くこちらを凝視している。
恐れもあるが、好奇心が勝っているのだろう。
彼はかなり人間の生活圏に近い場所をテリトリーにしていた。
さらに上流の、水深も浅くマスも獲り易い一等地は、
もっと大きな個体に占拠されているからだろう。
ゆっくりとレンズを向けると、弾ける様に走り出し、
茂みの向こうへと姿を消した。
彼はまだ若く、警戒心が薄いために姿を隠すことなく、人間の接近を許したと考えられる。
来年には侵入者の接近を感知し、茂みの中に潜んでやり過ごすようになるだろう。
「見られている」
そう感じて僕はまた、この静かな森を仰ぎ見るのだ。
また、来年。
2010年10月31日
山と空。
八重山から、知床半島、そして北アルプスへ。
この一年は、留まることから逃げるようにして
この国の美しい山々を歩いた。
何処までも濃く、深く、視界の利かない森。
みぞれ混じりの風が吹き荒れる稜線。
この国の峰々を見下ろす山の頂。
どれも素晴らしかった。
そしていずれにもまだ自分は満足できずにいる。
何を忘れようとしているのだろうか。
何から逃れようと走っているのだろうか。
何も忘れきってはいない。
何からも逃げきれてはいない。
足を止めて俯いている今、
そのことだけは、はっきりとわかる。
些細なきっかけと、愚かな衝動とで始まった。
歩き続けるしかない細い道が僕の前に伸びている。
逃げない為に逃げてきたのだ。
どうやら僕は、そういう人生を生きている。