2012年05月13日
connect the dots.
ひょんなことから、今までにない経験をさせてもらえることになりそうだ。
海外に仕事で行くのは、これで何度目かな…。
本業でなくて残念ではあるけれど、写真という手段で、
少なくとも認めてくれる人が、数人はいたのだ、ということになる。
さいきん、思わぬ人のつながりが繋がって
驚かされることが多い。
そことそこが繋がるか、みたいな…。
縁とは、ほんとうに予測ができないものだなと
そろそろ気づかされる年齢に差し掛かってきたのかもしれない。
『人生にちりばめられた点が繋がるまで、世界に最良のものを与え続ける』
スティーブジョブズとマザーテレサの言葉を、勝手に名文風に合体させてみた。
まぁ、そういうことなんだな。自分にできる最良の物は、まだ継続と逡巡を必要とするのだけれど
アジアのどこかで、ブラジルで、もしくは東京で、それとも北海道で、繋がるのかもしれない。
そして思い続けた南の島へと回帰するのです。
まだまだ書くよ。書きたいことはたくさんあるんだ。
海外に仕事で行くのは、これで何度目かな…。
本業でなくて残念ではあるけれど、写真という手段で、
少なくとも認めてくれる人が、数人はいたのだ、ということになる。
さいきん、思わぬ人のつながりが繋がって
驚かされることが多い。
そことそこが繋がるか、みたいな…。
縁とは、ほんとうに予測ができないものだなと
そろそろ気づかされる年齢に差し掛かってきたのかもしれない。
『人生にちりばめられた点が繋がるまで、世界に最良のものを与え続ける』
スティーブジョブズとマザーテレサの言葉を、勝手に名文風に合体させてみた。
まぁ、そういうことなんだな。自分にできる最良の物は、まだ継続と逡巡を必要とするのだけれど
アジアのどこかで、ブラジルで、もしくは東京で、それとも北海道で、繋がるのかもしれない。
そして思い続けた南の島へと回帰するのです。
まだまだ書くよ。書きたいことはたくさんあるんだ。
2011年10月22日
Nada.
I cannot do nothing in this time.
Am in huge Nada.
Nada makes me feel deep unease with his dark.
But I don't know how to run away from his black hands.
... I can do is only thinking.
"Thinking" gives new something that could save me,I know.
I will fall into Nada-Preto for long time now.
Tchau, o grande Sol...!
2011年10月04日
半年。
未曾有の大災害から、既に半年以上が経った。
当時ネパールから、インドを歩いていた僕は、得体の知れない自責の念に押されて、
旅を切り上げて帰国した。
遠くにいたから、現実感がない。
しかし、距離と疎外感は、冷たく硬い感触の記憶となって
より自分の心に迫ってくるものがあった。
東京で家族を安心させた後、遅い足どりで東北へと向う。
迷惑ではないか、無意味ではないか、微力に過ぎないか。
止まる理由を探しながらも、再び何か得体の知れない感情に押されて
僕は足を踏み出したのだ。
現実は圧倒的だった。
感情的になる自分を抑えるのに必死だった。
いつも笑顔で、瓦礫の山の中を歩いた。
おじいさんと、倒壊した家の中で結婚指輪を一緒に探した。
二度と電源が入らない冷蔵庫を、一心に拭いた。
多くの悲しみを感じ、多くの憤りを感じた。
気仙沼から大島へ渡るフェリーの中で、粉塵の舞い上がる
気仙沼港の風景を眺めていると、何時の間にか頬を涙が流れていた。
無意味な感傷に身を委ねたつもりはない。が、抗えない何かがあった。
全ての場所を感じることは出来ない。
ただ、気仙沼と気仙沼大島。この二つの場所とは、
僕という人間の一生という小さな時間の中で、関わって行こうと強く思った。
「偽善は嫌いだ」
そういって、阪神大震災のときに、何もしなかった自分がいた。
「偽善は悪ではない」
目に涙をためて彼女がそう言った時、
僕は東北に来てもよかったのだと、初めて思えたような気がしている。
北海道から帰って、新たな経験の鮮烈さで
彼の地への思いを、忘れかけているのではあるまいか。
大島の空を見上げた夢を見た。
まどろみの中で、その記憶を反芻し、僕はそう自らに問いかけた。
行動すること。見ることと、聞くこと。人と関わること、涙を流すこと。
大切なことを学んだ気がする。
僕はこれからも、正直に生きていきたいと思う。
また、大島へ渡りたい。
2010年12月03日
羆の森とヒト。

2010年9月、再び知床半島の森へと足を踏み入れた。
様々な思いはあったが、欲求として最も強かったのは
ヒグマの姿を目にすることであった。
写真に撮ることも考えていた。しかしヒグマの出る場所で
待ち構えるようなスタイルの旅には、まだ抵抗がある。
ひたすらに歩き続け、山を見て風を感じ、その延長線上に出会いがあればいい。
一度目の機会は稜線上で訪れた。
300kgはありそうな、巨大な雄のヒグマ。
しかしその姿は遠く、写真には小さく写っただけだった。
中途半端な距離でシャッターを押した自分を悔いた。
だが昨年に続きヒグマの姿を目にすることができたことが嬉しい。
高揚が、心地よく胸を鳴らした。
二度目は小さな川の畔。
人の生活領域からわずか数十メートルにある
ひっそりとしたこの森に、彼等の気配が充満する世界がある。
そう、まさにそれはひとつの別世界のように静かに広がっている。

あらゆる注意を払いながら、僕はこの川の畔を歩き続ける。
つい先程まで彼がそこにいたであろう痕跡を足元に見下ろして息をつくと
確実なる「見られている気配」を感じ、僕は森を仰ぎ見る。
それは気配という言葉にしてはあまりにも確かなもので、疑いようもない。
経験をしなければ、理解しがたい感覚がそこにある。
ゆるやかに蛇行する川の流れ。その凹凸に拠ってテリトリーがあるらしい。
「ここからは、下流とは違うヒグマの縄張りだ。それもかなり大きい」
手に取るようにわかるほど、その痕跡は濃厚だった。

鉢合わせは命の危険を意味する。藪を漕ぐときは声を出して進んでいく。
「会いたいのか、会いたくないのかわからないな」
そんなことを考えては、時折独り苦笑する。
この場所で、今年は小さなヒグマに出会うことができた。
彼は目の前でカラフトマスを捕まえて咥え、
飛び跳ねるようにはしゃいで森の中へと去っていった。
体躯は小さく、まだ若い。おそらく親と別れたばかりの2歳児ではあるまいか。
翌日。再びその個体に出会う。
目が合った。
森の中から、注意深くこちらを凝視している。
恐れもあるが、好奇心が勝っているのだろう。
彼はかなり人間の生活圏に近い場所をテリトリーにしていた。
さらに上流の、水深も浅くマスも獲り易い一等地は、
もっと大きな個体に占拠されているからだろう。
ゆっくりとレンズを向けると、弾ける様に走り出し、
茂みの向こうへと姿を消した。

彼はまだ若く、警戒心が薄いために姿を隠すことなく、人間の接近を許したと考えられる。
来年には侵入者の接近を感知し、茂みの中に潜んでやり過ごすようになるだろう。
「見られている」
そう感じて僕はまた、この静かな森を仰ぎ見るのだ。
また、来年。
2010年10月31日
山と空。

八重山から、知床半島、そして北アルプスへ。
この一年は、留まることから逃げるようにして
この国の美しい山々を歩いた。
何処までも濃く、深く、視界の利かない森。
みぞれ混じりの風が吹き荒れる稜線。
この国の峰々を見下ろす山の頂。
どれも素晴らしかった。
そしていずれにもまだ自分は満足できずにいる。
何を忘れようとしているのだろうか。
何から逃れようと走っているのだろうか。
何も忘れきってはいない。
何からも逃げきれてはいない。
足を止めて俯いている今、
そのことだけは、はっきりとわかる。
些細なきっかけと、愚かな衝動とで始まった。
歩き続けるしかない細い道が僕の前に伸びている。
逃げない為に逃げてきたのだ。
どうやら僕は、そういう人生を生きている。
2010年07月19日
ひかりのまち。

「ひかりのまち」という映画を観た。
淡々と進んでいく、都会での生活の描写。
何かがよくわからないままに、
物語は曖昧な輪郭の中で進んでいく。
模られた商品に心を動かされることに慣れすぎていた。
現実とは、こういうものなのかも知れないと思う。
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2010年06月22日
森と山。
2010年05月18日
神託と自我の在り処。

決められていた誓いも、
さ迷い続けた哀しみや憂いも。
13年振りに2人で眺めた風景は
夥しい無数の想いを
無言のまま受け取って風に流してしまった。
なんという虚しさだろう。
なんという温もりだろう。
そしてなんと力強く、直截的であり、
冷淡な貌をしていることだろう。
饒舌な神託を期待した情景は、どこまでも寡黙であり、
果てしの無い静寂に包まれていた。
約束されたこの風景は、
運命そのものを具現化している。
私達が神に託したのではない。
出逢った時から、神は私達に委ねていたのだ。
生きていくことを。迷い続けることを。
ささやかな幸せを拾って、微笑みに変えていくことを。
「失いかけている」
心に刺さった自分の言葉に振り返って傍らを見やると
彼女の存在は、その影の片鱗すらそこには残っていなかった。
神の無言の叱責を背中に感じながら
私は独り深い森へと向った。
孤独こそが自我の帰り着くべき、全き一つの世界なのだ。
2010年04月22日
破綻と創作の果実。
ここ最近、追われることが多かった。
煩瑣な出来事の中、感情の起伏は激しく
精神はそら恐ろしい不安定期を迎えつつある。
躁は去り、深い鬱が精神の片隅に滲み始めた。
そんな状態の最中、僕はよく本を読んでいる。
言葉は綴っていない。
いったいどういう転換を迎えるのだろう。
腐りかけた果実を口にして全身に毒を染み渡らせるように
ここ数ヶ月の出来事が、僕の人生そのものを
破綻か創作に向けさせるであろう強烈な予感がある。
沈みながら、疾風の季節が始まりつつある。
幸福の予感は全く感じられない。
だが、確実にとある未来が僕を待ち受けているのだ。
煩瑣な出来事の中、感情の起伏は激しく
精神はそら恐ろしい不安定期を迎えつつある。
躁は去り、深い鬱が精神の片隅に滲み始めた。
そんな状態の最中、僕はよく本を読んでいる。
言葉は綴っていない。
いったいどういう転換を迎えるのだろう。
腐りかけた果実を口にして全身に毒を染み渡らせるように
ここ数ヶ月の出来事が、僕の人生そのものを
破綻か創作に向けさせるであろう強烈な予感がある。
沈みながら、疾風の季節が始まりつつある。
幸福の予感は全く感じられない。
だが、確実にとある未来が僕を待ち受けているのだ。
2010年03月24日
春の知と愛。
春の陽気は、
風に吹かれて急速にその影を増してしまった。
桜という花がわざとらしく咲き始めるころ、
僕の春はもう終わってしまうのだ。
些細な風向きとその表情の変化に
一喜一憂していた金髪の少年も
長じて己が領分を区切り、
完成をはるか遠くに見ながらも、
賢くしてその城壁を作り上げてしまう。
経験のない小説は文学ではないと
言い切ることが誰に出来るのだろう。
きっとそれはヘッセにも断言できないほどの
無謀な戯言なのだ。
僕の春は、どうやら終わる。
春風が寂しく吹き荒れたあと、
疾風のような季節が訪れるだろう。
この不安定な精神状態が懐かしい。
巨大なる何者かが、浅薄でありながら深遠な何かを、
僕という存在の不明瞭な人間に成さしめようとしている。
その予感。
賽は投げられて、細胞は集団で自殺を始めた。
行き場を失ってじめじめと狂騒するレミングのように。
汝、若輩なるナルチスとなるか、老いたるゴルトムントとなるか。
春風は虚しさの中で常に問いかけてくる。
知か、愛か。
それは破滅への岐路と言っていいだろう。
※この煩悶の言葉の綴りを、偉大なる小説家へ捧げる。
風に吹かれて急速にその影を増してしまった。
桜という花がわざとらしく咲き始めるころ、
僕の春はもう終わってしまうのだ。
些細な風向きとその表情の変化に
一喜一憂していた金髪の少年も
長じて己が領分を区切り、
完成をはるか遠くに見ながらも、
賢くしてその城壁を作り上げてしまう。
経験のない小説は文学ではないと
言い切ることが誰に出来るのだろう。
きっとそれはヘッセにも断言できないほどの
無謀な戯言なのだ。
僕の春は、どうやら終わる。
春風が寂しく吹き荒れたあと、
疾風のような季節が訪れるだろう。
この不安定な精神状態が懐かしい。
巨大なる何者かが、浅薄でありながら深遠な何かを、
僕という存在の不明瞭な人間に成さしめようとしている。
その予感。
賽は投げられて、細胞は集団で自殺を始めた。
行き場を失ってじめじめと狂騒するレミングのように。
汝、若輩なるナルチスとなるか、老いたるゴルトムントとなるか。
春風は虚しさの中で常に問いかけてくる。
知か、愛か。
それは破滅への岐路と言っていいだろう。
※この煩悶の言葉の綴りを、偉大なる小説家へ捧げる。


